溜まり場コラム
地域と向き合う男たちへ
地域で自治体を中心とした活動を始めて3年ほどが経ちます。コミュニティ(地域共同体)の崩壊云々が叫ばれていますが、わが地域のそれは健在、結構、活動的です。先日の2月10日には、餅つき+芋煮大会が開催されました。前日から仕込みが始まり、当日は午前10時にスタート、約200人がつきたての餅+温かい芋煮をほおばりました。
3回目とはいえすっかり地域に定着し、“恒例の”という形容をしてもよいのでは、と思った次第です。
そんなイベントを支えているのは、定年を意識している方や既に定年を迎えた方々です。筆者(40代)や30代の方はほとんど見当たりません。
わが自治会長は、「定年を迎えてから地域に入ってくるのは、なかなか難しいよな」と、よくおっしゃいます。自治会の主力メンバーたちは、働き盛りの頃、早々に自治会の活動を開始された、とのこと。40代の“若者”としては、仲間たちを連れ出さねば、と思うことしきりです。日頃の資源ゴミ回収が功を奏していること、筆者としても肝に銘じ、有り難いこのイベントにただただ頭 (こうべ)を垂れるばかりです。
一方、おやじの会。昨年2月に活動を開始した会のメンバーも40名に達しようとしています。月1回の定例会、各種イベントの開催、そして自治会等のイベント補助。そこに集う男たちの姿から、感じること。会社の中で自身の“存在欲求”を失いかけていいる・・・。 そんなことを想像します。
仕事(=会社)と向き合うことのみで人生を全うすることに対する疑念。そう感じている世の男たちの受け皿として、わがおやじの会が機能しているのではないか。下記のような三つの側面が複合的に作用して、初めて人生の豊かさや幸福を実感するのではないか、と思います。
かつて会社は、冠婚葬祭等一切合財に応えてくれました。私自身もそのような経験をしました。会社が利益のための効率化をはかるため、ある意味において、このきわめて日本的な慣行を放擲した感がなきにしもあらず。
管理職が部下のことを親身になって心配する光景も極めて稀なはなしになるのでしょうか。仕事は生きていくための糧を得る大切な責務です。決してないがしろにできませんが、“自遊人”であり、“地域人”であることによって、一層、仕事が楽しく励みになると確信します。